石井 亨さんにお会いするために豊島に行ってきました。

みなさん

こんにちは。野中やすおです。

本日、『もう「ゴミの島」と言わせない――豊島産廃不法投棄、終わりなき闘い』の著者である石井 亨さんに会うために豊島に行ってきました

みなさんご存知ですか。はい、最近は芸術の島で有名になってしまった感がありますが、かつて産業廃棄物が不法投棄され、日本史上最大の汚染事件となった豊島事件の舞台、豊島です。

もう「ゴミの島」と言わせないの帯の紹介を引用させてください。

瀬戸内・香川県の豊かな島に産業廃棄物が不法投棄され、甚大な健康被害と環境汚染をもたらした「豊島事件」。
責任は行政の黙認にあるのか、事業者にあるのか? 島民は一致団結できるのか?
撤去を求める住民運動に身を投じ、県議会議員を二期務める一方、一転ホームレス状態にも陥った、闘争の渦中の人物が、43年の歴史を内側から描く。

また藤原書店の本書に対する見出しもとても良いので引用させてください。

豊島(てしま)事件――おそらくそれは、人類史上に残る挑戦である。
有害産業廃棄物により汚染された土壌および地下水を、廃棄物の除去・無害化とともに再利用し、環境基準に達するまで浄化する。果たしてそれは、自然科学的に、あるいは社会科学的に可能なことなのか。未だかつて達成したことのない、この問いに向き合う歴史は、今年四三年目の春を迎える。
本書は、我が国最大と言われた豊島有害産業廃棄物不法投棄事件が、香川県の判断の誤りと、その後繰り返される過ちの結果であることを突き止め、全国の方々の支援をうけて全面撤去を勝ち取り実現させた豊島住民運動の歴史を記したものである。
また、なぜこれほどまでに過酷な運動を維持できたのか、運動を通してステークホルダーとして成長していく豊島の運動に迫り、併せてその運動に翻弄される筆者の人生にも目を向けた記録である。

 

石井さんとの出会い

実は、石井さんに会う前に電動自動車で豊島をぶらついていて、マップも見ずに道を進み続けたところ、途中から砂利道を進むようになってきました。それを気にせず(笑)、さらに道を進み続けていましたが、全く人気もなくなり、不安になってGoogleマップを見たところ、そのまま道を進み続けると豊島のこころ資料館(何も調べずに行きました、反省です)があると知り、電動自転車を進めました。

しかし、資料館に行く道中に立ち入り禁止のゲートを見つけました。これがゴミ処理ゲートだったんです。ゲートの写真を撮るのを忘れてしまったので、すでにネットに上がっている写真をご覧ください。

実は資料館はゲートの中にあることに気がつき、ゲートの中つまり資料館に入るには事前の予約が必要らしく、とにもかくにも資料館宛に電話をしてみたら担当の方が石井さんに繋いでくれてたまたま記者の方を豊島のこころ資料館で案内中だった石井さんがゲート前まで迎えにきてくださったというのが石井さんとの出会いでした(笑) 本当は資料館を見学するには1週間前までに予約が必要だったらしいです。ほんと、すみません。

その後豊島交流センターで石井さんと合流することになり、砂利道を帰っていたのですが、イノシシ3匹出会ってしまい、ビビりました。幸い、逃げてくれてよかったです。突進されたら逃げ切れる自信は全くありません。

面白い出会い

興味深いことに資料館を取材中の記者の方は、日本の様々な話題(特にサステイナビティが中心らしい)を英語として海外に発信するというWebメディアの方でした。豊島だけでなく水俣も取材をされたらしいです。日本のメディアよ。豊島もどんどん取材にきてくだせえよ。決して豊島事件は終わった問題ではないですよ。むしろ相変わらず大量生産・大量消費を続ける社会に対して警鐘を鳴らし続ける、あるいは映画『MINAMATA』で提示されているように行政が取り返しがつかない過ちを犯した場合、誰が責任を取るべきかを再考するための始まりの場所ですよ。

色々な出会いがありました。

石井さんにお会いしに行ったつもりが豊島交流センター(これが設立された経緯にも深ーい歴史があります。詳細はぜひ『もう「ゴミの島」と言わせない』を読んでみてください!)で先に触れたシンガポール出身の記者の方や徳島県から来られた教師の方と出会い色々なお話ができました。

すっごい雑なまとめ方でしたが、今回は石井さんと顔合わせのつもりで伺ったので次回は豊島のこころ資料館をちゃんと見学したり、現場をもっとしっかりみたいと思います。現地の方にももっとお話を伺うことができればと思います。現地を訪れて決して風化させてはいけない、語り続けなければならない出来事だと改めて感じました。

以上、今日はこんなところで